日本労働組合総連合会、通称「連合」の会長を務める芳野友子さんは、日本の労働組合運動を代表する存在でありながら、その意外な経歴が注目されています。
幼少期はバレエダンサーを目指していた彼女が、どのようにして日本最大の労働組合のトップに登り詰めたのでしょうか?
この記事では、芳野友子さんの学歴やキャリアの道のりについて簡潔に見ていきます。
芳野友子の学歴プロフィール
まず、芳野友子さんの基本プロフィールからご紹介します。
プロフィール
項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 芳野友子(よしの・ともこ) |
生年月日 | 1965年11月9日 |
出身地 | 東京都 |
学歴 | 私立女子高 |
肩書 | 日本労働組合総連合会 会長 |
2024年現在、芳野友子さんは59歳。
日本の労働組合運動の歴史において、初の女性会長として注目を集めています。
労働者の権利を守る活動に尽力する芳野さんですが、彼女がどのような道のりを経て連合の会長に就任したのか、次から見ていきましょう。
学歴
芳野友子さんは、高校を卒業してすぐ就職していますので、最終学歴は・・・
私立女子高校
と思われます。
具体的な高校名は公表されていません。大学は卒業していないと思われます。
過去の講演会やインタビューで話した内容によると・・・
幼少期からバレエに熱中しており、将来はバレエダンサーになることを夢見ていました。
私立女子高のダンス部でも活躍しており、いくつかのコンクールや舞台にも立っていました。
実は就職する前までは、企業で働くことは全く考えていなかったそうです。
それどころか、「23歳で結婚して25歳で子供を産む」といった家庭的な将来設計を描いていたこともあり、彼女の人生観は当時の一般的な女性像に近いものでした。
最終学歴は高卒と思われます。
富士政治大学校卒業という情報も見かけますが、これば大学ではありません。
HPによると教育内容は下記のようです。
【主な教育課程】集中講座(2泊3日×年3回)・指定テキスト感想文・活動レポート・ほか
また、芳野友子さん自身が、
富士政治大学校から派遣された講師によって組合運動の基礎を学び、その影響を受けた
と述べたことがあるそうです。
富士政治大学校講師からの学びが、彼女の労働運動への理解を深め、後の活動にも活かされていくことになったと言われています。
この大学校は公益財団法人富士社会教育センターの教育部門として設置され、労働運動家や活動家の育成を目的としています。
芳野友子の経歴
18歳でJUKIに入社し労働組合活動へ
芳野友子さんは、18歳でミシンメーカー「JUKI」(当時の社名は東京重機工業株式会社)に入社します。
最初は在庫管理の仕事を担当していましたが、労働組合活動に興味を持ったきっかけは、ある女性社員の不満を組合に訴えたことから始まります。
その訴えが「女性のわがままだ」と一蹴されてしまい、女性社員の声が軽視されていることに疑問を抱いたことがきっかけでした。
そんな中、JUKI労働組合の委員長から声をかけられたことで、組合専従職員として活動を始めることになります。
芳野さんは、この機会を「新しい環境で自分を試すチャンス」と捉え、積極的に労働運動に関わるようになりました。
女性初のJUKI中央執行委員に就任
1988年、芳野さんはJUKI労働組合の中央執行委員に就任します。
当時、中央執行委員は20名すべて男性で、女性が入るのは芳野さんが初めてのことでした。
その後、彼女は育児休業制度の導入を提案しますが、当時の執行委員会では「女の幸せは早く結婚し、家庭を持つことだ」と反対されてしまいます。
それでも芳野さんは諦めず、翌年に再度提案し、周囲を説得して制度の導入に成功しました。
この育児休業制度の実現は、女性社員が長く働き続けるための道を開いた画期的な成果として評価されています。
「連合」初の女性会長に就任
芳野友子さんはその後も順調にキャリアを積み、2015年に連合副会長に就任。
そして2021年、ついに日本労働組合総連合会(連合)の会長に選ばれます。
連合会長として初めて女性がトップに立つことに、日本の労働界は大きな注目を集めました。
芳野さんが会長に就任する背景には、連合内部の調整が難航し、「ダークホース」として登場した彼女に白羽の矢が立ったとも言われています。
彼女は会長就任後も、労働者の権利を守るため積極的に発言し、特に非正規雇用や男女平等の推進に力を注いでいます。
芳野友子の課題と今後の展望
芳野友子さんが会長に就任して以来、連合は日本共産党との協力には慎重な姿勢を取るなど、政治的にも注目を集めています。
彼女の反共的なスタンスは、学んできた富士政治大学校の影響が強いとされていますが、そのため一部からは賛否が分かれることもあります。
また、彼女は今後の組合活動の課題として「ワーク・ライフ・バランス」を挙げています。
特に女性の労働環境改善に向けて、非正規雇用や処遇格差の是正を進めるとともに、次世代のリーダー育成に意欲を燃やしています。
芳野さんは「女性が社会に参画することが未来を切り開く」と語り、連合の新しい姿を模索しています。
まとめ
芳野友子さんは、中高生時代はバレエダンサーを目指していた普通の人物ですが、労働運動に身を投じ、日本最大の労働組合のトップに登り詰めました。
JUKIでの労組活動から始まり、育児休業制度の導入、男女平等の推進といった功績を積み重ねてきた芳野さんの歩みは、多くの労働者にとって希望の象徴とも言えます。
今後も労働者の権利を守るため、彼女の活動から目が離せません。
芳野友子さんが掲げるビジョンがどのように実現されるのか、労働界の未来に期待が高まっています。
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