2024年10月、47歳で正式に宇宙飛行士として認定された諏訪理(すわ まこと)さん。
その経歴は、宇宙飛行士という夢に向かって突き進むだけでなく、国際的な舞台でも多大な貢献をしてきた、まさに壮大なものです。
東京大学で学んだ後、世界銀行で防災のエキスパートとして活躍し、今では宇宙への挑戦が期待されています。
今回は、諏訪さんがどのような道を歩んできたのか、そのキャリアに迫ります。
諏訪理の経歴学歴がスゴい
正式に宇宙飛行士に認定され注目されている諏訪理(すわまこと)さん。
最年長のいうことも元気を与えてくれます。
学歴経歴時系列まとめ
まずは、諏訪理さんの学歴経歴を簡単に振り返ります。
年度 | 経歴・主な出来事 |
---|---|
1977年 | 東京都にて誕生 |
1985年 | つくば科学万博で宇宙への興味を持つ |
1996年 | 茨城県立土浦第一高校を卒業 |
2000年 | 東京大学理学部地学科を卒業 |
2004年 | デューク大学で環境学修士号を取得 |
2007年 | プリンストン大学で地球科学の博士号を取得 |
2008年 | 青年海外協力隊としてルワンダに派遣 |
2010年 | 世界気象機関(WMO)に入社 |
2014年 | 世界銀行に入行、防災グローバルファシリティで活動 |
2023年 | JAXA宇宙飛行士候補に選出 |
2024年 | 宇宙飛行士として正式認定 |
東大からプリンストン大学へ
諏訪理さんは、東京都出身で茨城県つくば市で育ちました。
彼が宇宙に興味を抱くきっかけとなったのは、小学3年生のときに地元で開催された「つくば科学万博」。
この経験が科学への興味を引き出し、その後のキャリアの原点となりました。
高校卒業後、諏訪さんは東京大学理学部地学科に進学。ここで地球科学に目覚め、卒業後はさらに知識を深めるためにアメリカのデューク大学大学院で環境学の修士号を取得します。
しかし、これでは物足りず、より専門的な研究を追求するためにプリンストン大学で地球科学の博士課程に進みました。
博士号を取得する過程で、南極に滞在して氷河を掘り、過去40万年の地球の気候変動を研究した経験も持っています。
この「地球の謎を解き明かす」壮大な研究が、彼の科学者としての基盤を築き上げました。
国際協力の舞台へ ルワンダでの青年海外協力隊経験
博士号を取得した後、諏訪さんは研究職ではなく、青年海外協力隊としてアフリカのルワンダに赴きます。
ここで、中学・高校の理数科教師として働きながら、大学でも教鞭を取りました。
ルワンダでは、教育の重要性を肌で感じると同時に、途上国の環境問題に直面。この経験が、後の国際舞台での活躍に大きな影響を与えました。
世界銀行で防災専門家として活躍
次に諏訪さんは、国連世界気象機関(WMO)に勤務し、途上国の気象・防災機関の強化に取り組みます。
さらに、2014年には世界銀行に入行。ここで彼は、防災グローバルファシリティ(GFDRR)の上級防災専門官として、アフリカやアジア、ラテンアメリカなどで気候変動対策や防災プロジェクトを担当しました。
気象・気候データを基にした政策提言を行い、多くのプロジェクトを成功に導いてきたのです。
諏訪理の宇宙飛行士への挑戦—14年越しの夢
リベンジ合格
実は、諏訪理さんは宇宙飛行士を目指すのは今回が初めてではありません。
2009年にも宇宙飛行士選抜試験に挑戦しましたが、当時は一次試験で不合格。
しかし、彼は諦めず、その後も国際的な舞台でキャリアを積みながら再挑戦の機会を狙っていました。
そして2023年、14年ぶりに行われたJAXAの宇宙飛行士選抜試験で、ついに念願の合格を果たします。
諏訪さんの合格は、日本人宇宙飛行士候補者として最年長の記録となり、彼の不屈の精神が注目を集めました。
JAXAでの基礎訓練を無事修了し、2024年10月に宇宙飛行士として正式に認定されたのです。
諏訪理が目指す月面探査への期待
諏訪さんの今後の目標は、月面探査の国際プロジェクトに参加することです。
彼は「月を目指すことは科学的な意義が非常に大きい」と述べ、宇宙開発に対する熱意を語っています。
日本人として初めて月面に降り立つ可能性もあり、その活躍が期待されています。
まとめ
東大からアメリカの大学で学び、世界銀行での防災活動を経て、宇宙飛行士として認定された諏訪理さん。
その経歴は、科学、教育、国際協力と多岐にわたります。
どんな困難にも立ち向かい、夢を諦めない彼の姿勢は、多くの人々に勇気を与えるでしょう。
諏訪さんの次なる挑戦は、宇宙でのミッション。
彼のこれからの活躍にますます注目が集まることは間違いありません。
宇宙飛行士としての新たな一歩を踏み出す諏訪理さんの未来から、私たちは多くの学びと希望を得られるでしょう。
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