日本の映画やドラマ界を代表する俳優、西田敏行さん。
彼のユーモラスな演技や親しみやすいキャラクターは多くのファンに愛されてきました。
しかし、彼の長いキャリアの背後には、多くの病気やケガとの闘いがありました。
この記事では、西田敏行さんが患った病名や、彼の闘病生活、そしてそれが彼の健康とキャリアにどのような影響を与えたのかを振り返ります。
西田敏行の病名と闘病生活
西田敏行さんは、多くの病気やケガを経験しながらも、俳優としての活動を続けてきました。
ここでは、彼が苦しんだ主な病名を紹介します。
頸椎症性脊髄症
西田敏行さんが最初に大きな健康問題に直面したのは、2001年11月のことです。頸椎症性脊髄症という、首の骨の変形によって手足にしびれが生じる病気を発症しました。
首の骨が神経を圧迫するため、日常生活に大きな支障をきたすこの病気は、当時56歳だった西田さんにとって大きな試練となりました。
この病気により、彼は手術を受けることを決断。
手術後もリハビリを続けながら、芸能活動に復帰するまでには多くの時間がかかりました。
心筋梗塞
2003年3月、西田敏行さんは急性心筋梗塞で緊急入院しました。
心筋梗塞は命に関わる重大な病気であり、この時も西田さんは生死の境をさまよいました。
後のインタビューで彼は、心筋梗塞の体験が人生の転機になったと語り、「これまで無理をしていたことに気づかされた」と振り返っています。
また、心筋梗塞を機に、西田さんは長年のヘビースモーカー生活を終え、禁煙を宣言しました。
さらに、健康を意識した生活を送り、82kgの体重を減らすなど、健康管理にも気を配るようになりました。
頸椎亜脱臼と胆のう炎
2016年には、自宅のベッドから転落し、首を痛めたことで頸椎亜脱臼を発症。
再び首の手術を受けました。この時期は健康状態がさらに悪化し、手術直後に胆のう炎も発症。
同年6月には、胆のう摘出手術を行うという過酷な状況でした。
これらの病気により、西田さんは俳優としての活動に制限がかかり始めました。
特に、2020年代に入ってからの出演作では、車いすを使用するシーンや、座ったままの演技が増えたことが報じられています。
死因は虚血性心疾患
18日、所属事務所が西田さんの死因が虚血性心疾患であったことを公表しました。
虚血性心疾患は、動脈硬化や血栓によって心臓の血管が狭まり、突然死を引き起こすこともある病気です。
西田敏行の健康悪化の背景とその影響
西田敏行さんは多くの病気に苦しみながらも、俳優としての活動を止めることはありませんでした。
しかし、病気やケガは彼の演技スタイルにも大きな影響を与えました。
車いすでの演技
近年では、健康上の理由から西田さんは多くの作品で車いすを使用していました。
2021年にTBS系で放送されたドラマ「俺の家の話」では、彼が演じたキャラクターが車いすを使う役柄でした。
また、2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、ほとんどのシーンが座ったままの演技でした。
2024年のTBS日曜劇場「さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~」も、いすや車いすに座った状態で楽器が好きなマスターを明るく元気に演じていました。
これにより、視聴者の間では彼の健康を心配する声が上がっていましたが、西田さんはそんな状況でもユーモアを交えた演技でファンを魅了し続けました。
「探偵!ナイトスクープ」降板
西田敏行さんは、2001年から2019年まで、長きにわたってABCテレビの「探偵!ナイトスクープ」で2代目局長を務めました。
この番組での彼の明るく温かいキャラクターは、多くの視聴者に愛されていましたが、2019年に体調面から番組を降板しました。
この降板が報じられた際、一部では「引退か?」という噂も立ちましたが、西田さんはその後も俳優活動を続け、ファンを安心させました。
西田敏行さんの最後の日々
西田敏行さんは、闘病生活を送りながらも、2024年10月8日には映画「劇場版ドクターX」の完成報告会見に姿を見せ、元気な様子を見せていました。
しかし、それからわずか10日後の10月17日、自宅で倒れているのを付き人が発見し、急逝。
家族が119番通報をしたということです。
享年76歳という突然の別れに、多くのファンが悲しみに暮れました。
まとめ
西田敏行さんは、数々の病気やケガに苦しみながらも、俳優として、タレントとして、最後まで輝き続けました。
頸椎症性脊髄症、心筋梗塞、頸椎亜脱臼、胆のう炎など、次々と襲いかかる健康問題に立ち向かいながらも、西田さんは自分の信念と愛するファンのために演技を続けました。
彼の闘病生活の背景には、家族の支えや自身の不屈の精神がありました。
そして、彼の演技や姿勢は、病気を抱える多くの人々に勇気を与えました。
西田敏行さんの病気と闘病生活は確かに困難でしたが、その中でも彼は多くの人々に笑顔と感動を与え続けたのです。
その遺産は、彼が残した数々の作品と共に、これからも多くの人々の心に残り続けることでしょう。
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