北川健太郎氏は、関西の検察を代表するエリート検事として知られ、後に弁護士に転身しました。
長い検察キャリアを経て、検事正(トップ)まで務めた北川氏は、弁護士としての新たな道を歩む意欲を燃やしていましたが、晩年その経歴を汚しました。
ここでは北川氏のプロフィールや、検事としての経歴、そして弁護士転身後など華麗なる経歴を振り返ります。
北川健太郎のプロフィール
なにかと注目されています北川健太郎元検事正。
まずはプロフィールをみていきましょう。
プロフィール
項目 | 詳細 |
---|---|
名前 | 北川 健太郎 (きたがわ けんたろう) |
生年月日 | 1959年9月14日(64歳) |
出身地 | 石川県 |
最終学歴 | 金沢大学法文学部 |
直前の職業 | 弁護士(元髙田明夫法律事務所 所属) |
学歴とエリート検察官のキャリア
北川健太郎氏は石川県の名門「金沢泉丘高等学校」を卒業後、金沢大学法文学部へ進学し、そこで法律の基礎を築きました。
1982年に旧司法試験に合格し、1985年に検察官としてのキャリアをスタートさせます。
その後は「関西検察のエース」として数々の要職を歴任しました。
北川健太郎氏の主な経歴
北川健太郎氏の検察官から弁護士の経歴をみていきましょう。
年 | 役職 | 備考 |
---|---|---|
1985年 | 検察官任官 | 石川県出身、検察官キャリア開始 |
2009年 | 大阪地方検察庁 刑事部長 | 重大事件の捜査を指揮 |
2011年 | 大阪高等検察庁 刑事部長 | 関西地方の事件を広く担当 |
2012年 | 那覇地方検察庁 検事正 | 地方検察庁トップとして指揮 |
2014年 | 大阪地方検察庁 次席検事 | 関西のエリート検事としての地位を確立 |
2017年 | 最高検察庁 監察指導部長 | 全国の検察業務を監督 |
2018年 | 大阪地方検察庁 検事正(トップ) | 森友学園事件や明浄学院事件の捜査を指揮 |
2020年 | 弁護士転身 | 大阪弁護士会に所属し、髙田明夫法律事務所に就職 |
森友学園事件と「関西検察のエース」
大阪地検検事正(トップ)として、世間を騒がせた「森友学園事件」や、明浄学院をめぐる業務上横領事件に携わり、社会的に注目を集めました。
強い信念をもって捜査を指揮し、正義の追求に尽力していたことから「関西検察のエース」と称されました。
検察官の階級まとめ
以下は、日本の検察官の階級を上位から順にまとめた表です。
階級 | 説明 |
---|---|
検事総長 | 検察官のトップ。最高検察庁を指揮監督し、重大事件の方針決定や最終判断を行う。 |
次長検事 | 検事総長を補佐し、検察庁全体の管理や業務調整を行う。 |
検事長 | 高等検察庁の長官。各地の高等検察庁を統括し、東京、大阪、名古屋などに配置される。 |
次席検事(高等検察庁) | 検事長を補佐し、高等検察庁の業務調整を担当する副長官的な役割。 |
検事正 | 地方検察庁の長官。地方の検察業務を統括し、重大事件の指揮も行う。 |
次席検事(地方検察庁) | 検事正を補佐し、地方検察庁の管理や業務調整を担当する。 |
検事 | 検察官の一般的な階級。捜査、起訴、公判活動の中心的役割を担う。 |
副検事 | 地方や区検察庁に所属。捜査や公判活動を担当し、検事と同様の捜査権・起訴権を持つが、階級は検事より下。 |
このように、地方ではトップまで出世していたということになります。
弁護士としての転身
検察の道を極めた北川健太郎氏は、2020年に弁護士登録し、法律事務所へ新たに入所しました。
2020年春号の中央法律事務所の挨拶には下記のように紹介されていました。
昨年11月、大阪地方検察庁検事正を退官された北川健太郎氏が弁護士登録され、本年4月1日より弊事務所にオブカウンセル弁護士としてお迎えすることになりました。大阪事務所で執務いたします。北川健太郎弁護士の検事としての主な経歴は、2頁に掲載しております北川弁護士の「入所のご挨拶」の欄に記載しておりますとおり、在中国日本国大使館にも出向されるとともに検察庁の要職を歴任されておられ、まさに検察の重鎮でございます。北川弁護士を迎えたことにより、皆様方に対し更に幅広い法的サービスを提供できるものと存じます。 (出典:中央総合法律事務所季刊ニュース)
大阪地検の検事正としての多忙な日々を振り返りつつ、「働き方改革」にも言及し、検察内での働きやすい環境の整備を進めてきた北川健太郎氏は、弁護士として社会に貢献する意気込みを次のように述べていました。
私は、昭和60年(1985年)4月の任官以来34年7か月を検事として過ごし、昨年11月をもって大阪地検検事正を最後に退官しました。そして、このたび、ご縁があって、本事務所に所属させていただくことなりました。
私の生まれは石川県ですが、なぜか関西の風土や人情が性に合ったようで、大阪中心の検事生活を送
りました。(中略)
さて、検察組織を離れた私の新たな課題は、これまでの知識と経験を弁護士活動を通じて社会に役立てることです。弁護士1年生として真摯に学びながら、あえてドラッカー的に表現すれば、顧客の創造を目的とし、マーケティングとイノベーションに努めていく所存です。
(出典:中央総合法律事務所季刊ニュース)
弁護士になってそのキャリアと経験は揺るぎない信頼を持たれていました。
今後も様々な法的支援を通じて、法律界に新たな風を吹き込むと思われていました。
北川健太郎の残念な晩年
この件の裁判で、被告となった北川健太郎は
「公訴事実を認め、争うことはいたしません。被害者に対して重大で深刻な被害を与えたことを心から謝罪したいと思います。検察庁はじめ関係者に多大なるご迷惑をおかけしたこと、世間を騒がせたことを申し訳なく思っております」
少し早口で述べた北川被告。起訴内容を認めたうえで、被害者と社会に謝罪しました。
華麗なエリートコースを歩んで来ながら残念な結果になった模様です。
まとめ
北川健太郎氏は、日本を代表する検察官として数々の要職を歴任し、弁護士として活躍していましたが、最後に汚点を残しました。
検察官としての厳格な姿勢と、人柄の温かさを兼ね備えた彼の歩みは、これからも多くの人々の支えとなるはずでしたが、想定外の出来事で世間の注目を集めています。
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